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哲学
16

信じる

2019.12.30

あまりに世の中の流れが速すぎて頭がパンクしそうになり、地元の6席しかないさびれたサブウェイでぼんやり過ごした。店外はたくさんの人が歩いていて、一人一人が砂時計の砂粒のように思えてならない。行き交わないでほしい。何かがまた知らぬうちに押し進んでしまう。

そこまで目まぐるしく変わらなくてもいいのにと呟きそうになったとき、ふと百人一首で覚えた源実朝の和歌を思い出した。

  世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも

恋愛もしくは人間関係をうたったものがほとんどの百人一首で、彼の和歌は異質だったように思う。「あなた」も「あのひと」も出てこない。実朝の言葉は独白的である。調べてみるとこんなくわしい訳が載っていた。

 「この世の中が、永遠で変わらないものであればいいなあ。波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟のへさきにつけた引き綱を引いている様子は、しみじみと心引かれることだなあ。」

 

 

 

作者である鎌倉幕府将軍の源実朝だが、26歳の若さで暗殺されてしまったのは有名な話だ。昔読んだマンガ版の日本史では、実朝は政治よりも和歌にうつつを抜かしてアホ扱いされていた。あのマンガ家がこの和歌に挿絵をつけるとしたら、鎌倉の海岸で寝っ転がったぼんやり顔の実朝を描くだろう。

たしかにこの和歌は、血なまぐさい鎌倉時代の現実を直視せず「この平和な状態がずっと続けばいいなあ」なんて脳天気に漁師を眺めていると解釈されることも多い。

だから小学生のときは、あまりこの和歌の良さが分からなかった。なんで永遠と綱手が関係あんの?と思っていた。この歌が好きになったのは、ある雑誌で小池昌代が詩の中でこんな風に訳していたからだ。

 

  おれが信じられるのは

  あの綱手だけだ

 

ああ。さみしいなあ。
頼朝の息子なのに母親の北条家のロボットで、望まず将軍になり、周りの人間は暗殺されていく。時代はどんどん過ぎ去り、どんどん戦が準備され、どんどん人が死んでいく。そして彼も、兄のように母の北条家によって殺される。目まぐるしく何もかもが変わっていく中、彼が信頼できるのは、母親でもなく、家臣でもなく、友でもない。小舟をたぐりよせる、名も知らぬ綱手だけなのだ。

彼の和歌に具体的な他者が出てこないのは当然である。彼にとっては、「世の中」全てが他者なのだから。

そんなことを考えていたら、くぐもった音で店内にVillage Peopleの「Y.M.C.A」が流れ出し、しみったれ休日感が増してしまった。Wikipediaを見ると「振り付け」という項目があり、人の良さそうな小太りの男が「Y.M.C.A」を再現している。照れくさそうな笑顔、「M!」をしたときに出ちゃったお腹、背後に建つおとぎ話に出てくるような小屋、そして謎の不吉な黒い犬。誰が撮ったのか。

目まぐるしく世の中は変わる。Wikipediaもすごいスピードで編集される。情報があふれて、消えて、またあふれる。それにしても「Y.M.C.A」の振り付け項目は、「これだけは絶対伝えたい!」という強力な意志が感じられる。編纂者にとっては欠かすことのできない情報で、写真をわざわざ撮るほどに重要だったのだろう。

他人から見れば何でそんなものを、というものをわたしたちは大切にしたりする。わたしにとっての「そんなもの」が、あなたにとっては「これだけあればいい」ものであったりする。それだけで生きることができる。

  掌に受ける

  早春の

  陽ざしほどの生きがいでも

  ひとは生きられる

  素朴な

  微風のように

  私は生きたいと願う

  あなたを失う日がきたとしても

  誰をうらみもすまい

  微風となって渡ってゆける樹木の岸を

  さよなら

  さよなら

  と こっそり泣いて行くだけだ

※出典:『新編 伊藤桂一詩集』日本現代詩文庫

 

伊藤桂一の「微風」※という詩を思い出す。

ひどく曖昧で複雑な世の中にあっても、掌に受けるような、ほんの少しの早春の陽ざしのあたたかさだけで、わたしたちは生きられることがある。そんなおぼつかなくて、頼りなくて、信頼できなそうなものでも、自分の生きがいとすることができる。そこまで考えて、ふと思う。

むしろ実朝は「綱手」ほどの生きがいでも自分は生きられるんだ、って素朴に思ったんじゃないか。

材木座海岸に座り込む彼の表情をのぞいてみたい。彼は嘆いているだろうか。微笑んでいるだろうか。絶望しているだろうか。それとも、生きようとしているだろうか。

 

 

 

そうなれば私にとっての綱手とは、壊れかけの数字並べパズルであり、何冊かの文学であり、大阪王将の五目あんかけラーメンなのであった。

世の中は常にもがもな王将のうまいあんかけラーメンかなしも

かっこつかないなあ。実朝はさすがだ。

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